2022/02/10
大川小学校の悲劇について
ふと大川小学校の悲劇を思い出し、どうして優秀なはずの教師の人達がまともな対応を出来なかったのだろうという事が気になり、ネットで調べてみたところ、私の疑問の答えは見つからなかったのですが、「大川小学校」の訴訟に挑んだ2人の弁護士――判決後も原告遺族と向き合う理由 【#あれから私は】(CREATORS 2021/3/6)というものを発見しましたので、どうか見てください。
因みに、大川小学校は海から3Km以上離れていたけれど、動画を見てもネットで地図を見ても川は直ぐ近くあるし、内閣府の情報によると標高は2.5mほどしかなかったので、津波が川を上って来たらひとたまりもないから、少しでも高い所に一刻も非難しなければならないという事は少し考えれば分かっても良さそうなものだと思うのですが、どうしてこんな子供でも分かりそうな簡単な事も分からなかったのでしょうかね。*1
尚、「約1年間という時間と5700万円もの経費を費やしながら、遺族が最も知りたい「事実の解明」を途中で放棄。表面的な考察に終始し、検証とはいえない内容だった。」そうですが、この話を聞いて、曖昧模糊な福島第一原発事故の事故調査委員会の報告書の内容を思い起こしてしまいました。
事故当日、一体何処にいた誰が教師や生徒が校庭に留まるように指示したのか知りたいと切に願うのは私だけでしょうかね。
また、なぜ大津波警報は届かなかったのか…地震後3分以内に縛られた気象庁(J-CASTテレビウォッチ 2011年11月13日)によると、「地震発生3分後、実際よりもはるかに小さな予測の津波警報が出され多くの人が逃げ遅れた。」という話も有るようですが、何故SPEEDIはスピーディーに生かされなかったのかや福島県の小児甲状腺検査の結果を見やすくして見ましたで記した内容等を改めて振り返ってみると、戦時中の日本を思い起こすのは私だけでしょうかね。
*1 上で紹介した記事を見ると、実際に早く避難する事を呼び掛けた生徒がいたようです。
※下の画像は、スタジオジブリのサイトのこちらから入手したものです。
追記:
大川小学校の悲劇について(2)も見てください。
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