学校教育では、物価はアダムスミスが提唱した需要と供給のバランスによって決定されるという事だけを教えているので、そのレベルで物価について考えている人が多いのではないかと思いますが、過去から比べてどんどん物価は上昇し続けているので、アダムスミスの市場原理の考えだけでは物価が上昇し続ける事は説明出来ません。
この事は貨幣価値の変動も加えて説明しなければ説明出来ないのですが、マルクスは貨幣価値の変動の影響を除外するために、貨幣価値と切り離された「価値」という概念を考え、この「価値」と労働時間と労働の強度を結び付けて「抽象的人間労働」という概念を確立し、価値は平均的には労働時間の長さによって計る事が可能な抽象的人間労働の量によって決定される事を示したと考えられます。*1
それでは、資本主義社会で生産力が向上して少ない労働時間で同じ量の生産物を得られるようになったのにどうして物価は下がらないのでしょうか。
その一つの理由は、資本主義社会で生産力が向上して「生活レベル」が上昇すると、特に国家独占資本主義段階の国家では、非再生産的労働が増える事にともなって余計(?)な商品を購入する必要が生じるため、抽象的人間労働を生産するための抽象的人間労働の量が増えてしまう事になります。*2 *3
また、抽象的人間労働の量には、抽象的人間労働を作り出すために必要な抽象的人間労働の量が含まれていて、労働の質も最終的には労働のために投入された抽象的人間労働の量によって還元される事になる訳です。
二つ目に理由は、金本位制から自由になった国家独占資本主義段階の国家が、国家の借金の価値を減じるために、通貨をどんどん発行して市場に通貨を流し込んで貨幣の価値が低下させているからです。
したがって、商品の価格はざっくり言えば、商品の生産に必要な抽象的人間労働の総量と市場に流通している貨幣の総量に比例し、市場に流通している商品の総量に反比例すると考えると、アダムスミスの市場原理も見事に説明出来る事になるのではないでしょうか。
それと、日本銀行は金融緩和によって以前から相当な量の通貨を発行しているにもかかわらず、物価がそれほど上がらなかったから私の考え方は間違っていると思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、私が「市場に流通している貨幣の総量」という言葉を使用している事の意味を考えていただけないでしょうか(笑)
*1 マルクスが言う所の「価値」は、俗世間で言われるところの「交換価値」のようなものだ思われている方がいらっしゃるかもしれないですが、俗世間で言われるところの「交換価値」は、俗世間において具体的な物と物や具体的な物と貨幣や貨幣と貨幣の交換量を表す概念なので、マルクスが言う所の「価値」と同一視出来ない事に注意してください。
*2 「生活レベル」というのは俗世間の用語なので、あえてカッコ付きで表現させていただきました。
*3 「非再生産的労働」というのは、『国家独占資本主義』で有名な大内力(Wikipedia)さんが使っていた言葉で、簡単に言えば、社会全体の生産力の向上につながらない労働という意味です。
追記:
追記2:
労働の強度の概念を忘れていたので、抽象的人間労働の説明に労働の強度との関係を明記しました。
追記3:(2023/4/27)
「抽象的人間労働の量」を「抽象的人間労働の総量」に訂正しました。